差別化された指導

 6つのIBの指導の方法の中で、今回は「差別化された指導」について触れてみたいと思います。

 IBにおいて「差別化された指導」とは、インクルーシブであるということです。日本においては特別支援という考え方が学校現場に広く浸透してきており、各学校において特別支援コーディネーターのリーダーシップのもと、特別支援委員会等を設置し、障がいのある児童、生徒の学習や生活における支援を推進していると思います。一見、IBの「差別化された指導」と特別支援教育は同じものと捉えられそうですが、それぞれの考え方にはいくつかの違いが見られます。
 
 特別支援教育は、主に障がいのある児童・生徒を対象にしています。障がいの状況に合わせて予防的なサポートを行い、児童・生徒が学習や生活に支障なく取り組めるようにするのが本来の意味合いですが、多くの学校では、事後対応に追われており、対症療法的なものになっているのが現状ではないかと思います。また、障がいの有無によらず「個に応じた指導」という手立てがありますが、この言葉は学習指導要領によると、主に習熟度別等の学習集団の編成に関することや日々の観察を含んだ個別指導を意味しており、IBが求めるものをすべて含んでいるものにはなっていません。

 これに対して、インクルーシブな教育は、障がいの有無にかかわらず、すべての児童・生徒を対象とします。MYPにおいては、教師が担当する生徒に対して、何らかの理由で学習につまずきが見られる状況を予想・把握し、授業計画にその支援の方法を明記することが求められています。各学校においては、Special education needsに対応するハンドブックを準備することが推奨されており、そこには、障がいの状況に応じた支援や、非常に優秀な生徒(gifted)に対する支援の方法が事細かに記載されています。教師は、このハンドブックを授業計画に反映して、生徒のつまずきを予防していくことが可能になります。そして、それぞれの手立ては、実践を通してブラッシュアップされ学校としての財産になっていきます。この方法だと、すべての教師がすべての生徒に対して、インクルーシブな教育を実践していることになり、特別支援コーディネーターや特別支援委員会の負担が大きく減ることにつながります。

 日本の教育現場においては、旧来より特別な支援を要する生徒を、通常の学級から切り離して特別学級や特別支援学校等で教育を行うということが実施されてきましたが、諸外国においては学校や学級を切り離さず通常の学級の中ですべての生徒を支援していくというインクルージョンの考え方が浸透してきており、政策としてフルインクルージョンを推進している国もあります。

 私が子どもの頃は、学校が終わると近所の公園に小学校の1年生から6年生がたくさん集まってきて、みんなで男女の別なく鬼ごっこや、キックベースなどをしていました。このときに、全員がそれぞれの遊びに参加して楽しめるように、低学年の子は万歳すればタッチされても鬼にならない、低学年や女子には近くからボールをゆっくり投げてあげるなどの特別なルールを設けました。これがインクルージョンです。つまり、教室という学びの場においてすべての生徒が学びに参加できるように、障がいの有無に依らず事前にルールを決めて支援をしていこうという考え方がIBで求められている「差別化された指導」であると言えます。

 これらのことを加味すると学びの場は、障がいの有無によらず学びが一人ひとりにとってさらに効果的で面白いものになるように、適切な支援を工夫していくことが求められます。それらの支援は、言葉掛けから始まり、学びが停滞している生徒に個別にはたらきかけることが基本となりますが、次のような視点もあります。心理学NLP(神経言語プログラミング)における「優位表象システム」のアイデアを借りると、学習者には視覚優位、聴覚優位、体感覚優位という特性がありその優位性に合わせて動画や画像を用いて学習したり、音声や講話を用いて聴覚的に学習をしたり、体を動かして表現をしたりする教材をそれぞれの生徒に準備するというやり方が考えられます。同一の学習内容についてそれぞれの生徒に別個の教材を準備するというのは少しやり過ぎのようにも思えますが、実際にUniversal Design Learning(UDL)の推進校ではこのような支援が取られています。この事例と同様の事を求めていくつもりはありませんが、私たちは、「差別化された指導」を推進するために、学びに参加できない生徒にどのような方法が有効なのかを考え、その生徒がよりよい環境の中で学習できるようはたらきかけていくことを意識しなければなりません。UDLの中では、ICTの活用が絶大な力を発揮していますので、iPad等の効果的な利用が、「差別化された指導」の推進には必要なのかも知れません。文部科学省のGIGAスクール構想も動き出していますので、各学校での斬新なアイデアの創出とその共有を期待しています。

自己紹介

 はじめまして、市立札幌開成中等教育学校の大西と申します。本校は、IBのMYPとDPの認定校で、開校して5年目の学校となります。私は、MYPコーディネーターとしてプログラムの運営に関わっていますが、IBに携わってから、新しい学力観に基づく教育の重要性を強く意識するようになりました。こちらに投稿させていただくのは初めてとなりますが、IBの考え方をベースに、新しい教育に必要な要素を紹介していきたいと考えていますので、よろしくお願いいたします。今回は、IBを学校に導入するメリットについて紹介します。

 IBを学校に導入することで起こる変化は非常に大きいと思いますが、そもそもこの変化はIB校だから必要なものなのでしょうか?私は、札幌開成中等教育学校でIBに携わって5年になりますが、IBで求められていることは、日本の学校が新しい学力観に基づいて授業の在り方を変えていく際に必要なことと変わらないのではないかと考えるようになりました。

 IBには、社会的構成主義という考え方が根付いていますが、なぜこのような考え方が必要なのでしょうか?これまでの日本における学校教育は、構造主義に基づいていたのではないかと考えます。構造主義とは、文化・伝統・習慣・風俗・宗教等に根差した社会の枠組みが先にあり、その社会が成り立つために必要な個人の言動やそこではぐくむべき思想・教育が統制されるという考え方です。日本という島国の中の、地域に根差した社会の中では、この考え方は非常に合理的であると考えます。そこで、これまでの日本の学校教育では、日本の社会が日本という枠組みの中で成り立つために必要な知識・技能を身に付けることで事足りていたわけで、社会の枠組みが必要としていた以上のことはあまり要求されなかったわけです。簡単に言うと、教科書に書いてあることをきちんと身に付ければ、社会でやっていけるということを保証されていたということです。

 ところが、近年、社会は大きな変革を迫られることになります。インターネットの発展に裏打ちされた昨今の高度情報化社会においては、これまでの価値観だけでは社会を存続することが難しくなり、グローバルな視点で社会を見直す必要があり、これまでのように社会の枠組みが定まらない状況になってきました。これでは、構造主義の考え方でうまく社会を成り立たせることができません。よって、必然的に構成主義という考え方が必要となってきます。構成主義とは、この枠組みを社会の成員が必要な要素を組み上げていくことで作り出すという考え方です。この考え方を教育に落とし込んでいくと、身に付けるべき知識・技能は定まったものにはなりません。その知識・技能の活用の範囲において、適切に変化をしていく必要があります。このような学びの中では、批判的思考力・創造的思考力・転移力・協働力・コミュニケーション力など、多様なスキルが必要となるのは間違いなく、学校はこれまでの教育観を大きく変える必要があります。つまり、教員が決まりきった知識を教科書通りに教えるというやり方では、これからの社会に必要とされる力は身につかないということです。そこで、IBや新学習指導要領に定められた新たな教育を学校現場で体現するために、教員は大きくマインドセットを変える必要があります。